イタリアにわたった聖ニコラウス(サンタクロース)

イタリアの港の風景

 

さて、前回の記事ではサンタクロースの起源となった聖ニコラウスについて話をしました。

サンタクロースの起源と、トルコのクリスマス

上記の記事で述べたように、サンタクロースの大元になったのは、トルコに生まれたキリスト教の司教、聖ニコラウスでした。そんな彼ですが、まだ現在のサンタクロースとは姿に隔たりがあります。後にアメリカにわたってコカ・コーラの広告で現在の赤いコートのサンタクロース像が定着たと言われていますが、その間に何が起きたのかを本記事では追っていこうと思います。

前回記事でも書きましたように、本記事は下記書籍を参考に書かれています。実際に現地を旅したリアルなサンタクロースの秘密をご覧になりたい方は、ぜひ書籍をチェックしてみてください。

参考:12月25日の怪物: 謎に満ちた「サンタクロース」の実像を追いかけて

 

トルコとヨーロッパで神聖視された聖ニコラウス

トルコで時の皇帝コンスタンティヌスから絶大な信頼を得た聖ニコラウスは、死後も神聖視されるようになります。その遺骨の一部はアンタルヤ博物館に置いてあります。もちろん、それ以外にもさまざまな歴史的美術品があります。たとえば古代ギリシャの壺、ローマ時代の彫刻など、ヨーロッパとアジアの間にあるトルコの魅力を存分に楽しむことができます。また、聖ニコラウスが司教をしていたミュラの聖ニコラウス教会にも、一部遺骨が置かれています。聖ニコラウスの死後である6世紀にに、遺体が埋葬された場所に建てられた教会だと伝えられています。

 

遺骨の盗難

そんな遺骨ですが、なんとその一部が盗難にあっているのです。現在ではイタリアのバーリという町にある、聖ニコラウス聖堂にもおさめられているそうです。13世紀にイタリア人大司教によって書かれた黄金伝説によると、1087年にイタリアのバーリからトルコに向かった団体によって、聖ニコラウスの遺骨を持ち帰ったとあります。

ちなみに、聖ニコラウスはイタリアやフランスでは聖ニコラと呼ばれ、ロシアでは聖ニコライと呼ばれているそうです。当たり前かもしれませんが、聖ニコラウスの信仰は世界へ広まっていく中で呼び名、またさまざまな点で形を変えていったようです。

なぜ、遺骨はイタリア人によって盗まれてしまったのか?

さて、ではなぜ聖ニコラウスの遺骨がイタリアに持ち去られたかですが、この背景には聖ニコラウスへの厚い信仰と中東イスラム諸国への対抗という意味がありました。先に述べたようにキリスト教の普及に活躍した聖ニコラウスはヨーロッパでも信仰の対象となっていました。それゆえに、遺骨を手に入れることで自国・地域の力を誇示したいという思いがあったようです。また、当時ヨーロッパとイスラム諸国は対立的な構図にあり、中東にあるイスラム王朝セルジューク朝によって攻め込まれており、彼らに立ち向かうための奮起の材料という意味もあったようです。

大きく上記2点の理由から、聖ニコラウスの遺骨はトルコからイタリアへと渡ったのです。1089年10月、遺骨は教皇ウルバヌス2世臨席のもと地下聖堂に安置されました。この事実によって、バーリは名実ともに聖ニコラウスの聖地となりました。バーリは南イタリアでもトップ5に入る大きな都市で、重要な港町で今も昔も商業都市として知られています。かつてはギリシャに支配され、その後は東ローマ帝国に支配されるといった歴史もありますが、聖ニコラウスの遺骨がもたらされてからはキリスト教の巡礼地としても知られるようになりました。巡礼者の寄付なども増え、街としてはさらなる発展を遂げます。

なお、21世紀現在も聖ニコラ(聖ニコラウス)はバーリの守護聖人としてあがめられ、多くの巡礼者が訪れます。そのせいか、旧市街には40の教会と120以上の宗教施設が存在しており、他にも13世紀にフェデリコ2世が築いたお城や、県立絵画館など、宗教色の強い観光スポットが多いことでもバーリは有名です。

十字軍の提唱

なお、このように聖ニコラウスの遺骨を手に入れたことで勢いづいたキリスト教は、十字軍の遠征を敢行することを決めます。かつて、コンスタンティヌス帝のもとで異教徒と戦って勝利をおさめた聖ニコラウスにあやかろうという思いがあったようです。全ヨーロッパを巻き込んだ十字軍を転機に、聖ニコラウスの信仰もヨーロッパ全土へと広がっていくことになります。

 

徐々に形を変える聖ニコラウス

このように、少なくとも当時のイタリアにおいては、聖ニコラウス=サンタクロースという構図はまだ見えてきません。ただ、上述したようにヨーロッパ全土へと広まった聖ニコラウスの信仰は、各地でまた違った形へと変容していきます。各地にその名を冠した協会が建てられ、さらに聖ニコラウスの命日とされる12月6日には聖ニコラウス祭なるお祭りがおこなわれるようになったそうです。聖ニコラウスは十字軍という歴史的事件によって脚光を浴び、お祭りとなって一般庶民の生活に溶け込んでいったということです。

とはいえ、私たちが知っているサンタクロースとはまだまだ隔たりがあります。いったいどのような経緯を経て、現代の赤いコートを着て、トナカイを引き連れた姿になったのか、もう少しサンタクロースの変遷を追いかけてみようと思います。次は、聖ニコラウス祭が広まった国の1つであるオランダにフォーカスをあてます。

 

以上、お読みいただきありがとうございました。

 

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