オランダでクリスマスへと姿を変えた聖ニコラウス祭

 

オランダの風景

参考:12月25日の怪物: 謎に満ちた「サンタクロース」の実像を追いかけて

本記事は上記書籍を参考に書かれています。

 

前回、イタリアにおけるサンタクロースについて書きました。

イタリアにわたった聖ニコラウス(サンタクロース)

大まかに言えば、イタリアに聖ニコラウスの遺骨が渡ったことで、ヨーロッパ全土に聖ニコラウス信仰が広まったという内容でした。そして信仰が定着して、お祭りという形で人々の生活に浸透していったそうです。

また、それ以前、サンタクロースの起源については下記の記事をご覧ください。

サンタクロースの起源と、トルコのクリスマス

 

オランダの絵画から見る聖ニコラウス祭

その頃の聖ニコラウス祭がどのようなものであったのか、当時の様子を伝える絵画がオランダにあるそうです。オランダの首都アムステルダム国立美術館にある、1665年頃に描かれた「聖ニコラウス祭」という絵がそれです。作者はヤン・ステーンさんと言う方で、17世紀のバロック期に活躍した有名な画家です。生涯で800以上の作品を制作したと言われており、特にオランダ人の人々の生活を描いた風俗画で知られています。

冒頭で紹介した参考書籍の著者、高橋さんは実際にオランダを訪れ、この美術館を訪問したそうです。そして、美術館のスタッフさんとも直接多くの言葉を交わされています。当時のオランダでどのようにお祭りがおこなわれていたのか、もっと詳しく知りたい方は、ぜひ冒頭の書籍をご覧になってみてください。

 

クリスマスとそっくりな聖ニコラウス祭

では、さっそく聖ニコラウス祭の絵をみてみましょう。

聖ニコラウス祭

家族の団らんを写した一枚の絵です。子どもの手をみるとわかりますが、プレゼントらしき人形を持っています。おばあちゃんらしき人が見せてごらんと手をのばしていますが、女の子はそれを嫌がっています。また、それを見て悲しそうな表情を見せる男の子。この子はプレゼントをもらえなかったのかもしれません。これだけ見ると、まるでクリスマスの翌日の一幕のように見えます。なぜ、オランダの聖ニコラウス祭は現代のクリスマスと似ているのでしょう?

 

聖ニコラウス祭がクリスマスの原形

結論としては、当時の聖ニコラウス祭が、クリスマスに行われるようになったということです。つまり、現代のクリスマスの大元は聖ニコラウス祭なのです。だから、当時の聖ニコラウス祭のプレゼントを贈るという習慣がクリスマスに引き継がれているのです。なぜそのようなことになったのか、背景にはキリスト教への弾圧がありました。

宗教改革で禁止された聖ニコラウス祭

もともとのきっかけは、有名なドイツの神学者であるルターがカトリック(旧教)を批判したことでした。後に彼らの宗派はプロテスタント(新教)へと分離していき、キリスト教は大きく2つの宗派に分かれることになります。

プロテスタントでは聖人や偶像を信仰することが禁止されていました。それゆえ、聖ニコラウスという聖人を信仰する聖ニコラウス祭も行ってはならないことになったのです。彼らは聖人や偶像ではなく、神(精霊)を信仰していました。

子どもたちへプレゼントを贈る習慣は残った

しかしながら、プロテスタント教会が統治する地においても、聖ニコラウス祭で行われていた子どもたちがプレゼントをもらえる習慣を禁止することができなかったのです。人心を掌握するうえで過度に規制することはできなかったのかもしれません。

結果として、子どもたちがプレゼントをもらえるのは聖ニコラウス祭からキリストの生誕日とされているクリスマスに変更されたのです。ただ、少々異なるのはクリスマスにやってくるのがサンタクロースではないという点です。先に述べたとおりプロテスタントでは聖人崇拝は禁止されています。よって、子どもたちにプレゼントを配るのは妖精ということになっています。

ドイツのクリスマスマーケットでは、クリストキンドル(キリストの天使)という天使が主役です。子どもたちにプレゼントを手渡し、クリスマスマーケットの開催も宣言します。2、3年に一度、地域で若い女性の中からクリストキンドルは選出されます。日本にはない習慣なので新鮮ですが、彼らにとってのクリスマスにクリストキンドルは欠かせない存在なのです。

現代の聖ニコラウス祭

ちなみに現代においては、欧州各地で聖ニコラウス祭がおこなわれるようになっています。聖ニコラウスの命日前日、12月5日に聖ニコラウスが家々を巡り、子どもたちにプレゼントを配るのです。オランダでは11月中旬に聖ニコラウスのイベントが行われていることが多いようです。クリスマスとは異なったイベントとして、現代では再び行われるようになったようです。

聖ニコラウス祭の夜になると、子どもたちは暖炉の前に靴を置き、聖ニコラウスからプレゼントをもらえるのを寝ながら待ちます。現代と少々違うのは、中にはニンジンやレタスなどを入れておくこと。これは聖ニコラウスが乗ってくる白馬のためのエサです。

これは中世当時の習慣が今でも残っているようです。当時スペインから船で渡ってきたキリスト教の司教をなぞらえているようです。呼び名はシンタクラース、聖ニコラウスがなまって呼ばれた結果のようです。彼らは馬に乗って国内を回ったので、その当時の思いからニンジンやレタスは、馬にあげるエサという意味合いがあるようです。オランダの人々にとってのサンタクロースは赤いコートのおじいさんではなく、シンタクラースという司教だということです。

 

オランダからアメリカへ、サンタクロースの誕生

それでは、現代の赤いコートのサンタクロースはどうやって生まれたのでしょうか?実はその姿は、アメリカのコカコーラがもとになっているというのは有名な話です。聞いたことがある人もいるかもしれません。

きっかけとなったのは、オランダ人がアメリカに聖ニコラウスの存在を伝えたことです。それが紆余曲折の末、コカコーラの広告で使用されるようになり、今のサンタクロースの姿になるのです。20世紀の間、コカコーラの躍進とともにそのサンタクロース像は一気に世界中に広まっていったのです。

 

 

以上、オランダの聖ニコラウス祭についてと、現代のサンタクロースとのつながりについてでした。お読みいただきありがとうございました。

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